「猫文化」という言葉があるほど、猫は私たち日本人の文化や芸術、生活の中に溶け込んでいます。日本人はいったいいつから猫を飼うようになったのでしょう。そして日本の歴史の中で猫の存在はどのように変わっていったのでしょうか。今回は日本人と猫の歴史について解説します。

 

 

日本最古のイエネコの証拠

 

日本における最古のイエネコ(ヤマネコではなく、人に飼いならされた猫)の証拠は、2011年に調査された長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生時代後半)から発見された橈骨(前腕の骨)とされています。遺伝子分析を行ったわけではありませんが、交易のあった韓国でもその時代の貝塚にネコ(猫の種類は特定されていない)の骨が発見されていることなどから、イエネコの可能性が高いと結論づけられました。これが本当にイエネコの骨であれば、弥生時代には飼い猫がすでにいたことになります。おそらく穀物をネズミの害から守るために飼われていたのでしょう。今までは確実な飼い猫の証拠は6~7世紀にならないとみられなかったため、もしカラカミ遺跡の骨がイエネコであるならば、日本での猫の歴史が大きく遡ることになります。

 

 

奈良~平安時代には、ペットとして飼われるように

 

猫らしき記述が登場するのは、平安初期に書かれた「日本現報善悪霊異紀(通称日本霊異紀)」で、この中に狸という記述があり、これが猫の意味であるとされています。確実な記録は「宇多天皇御記」で、889年に先帝である光孝天皇が飼っていた、唐から来た黒猫を息子の宇多天皇が譲り受けたとの記録があります。「唐」から来たという通り、猫は奈良時代、中国から経典をネズミから守るために輸入されたはずでしたが、貴族の愛玩動物として大切に可愛がられたようです。

例えば、かの有名な「枕草子」でも、「上に候う御猫」と定子皇后が飼っていた猫が登場します。この猫はなんと五位という称号を与えられ、「命婦のおとど」という名前までもらっていました。また、「猫はうへのかぎり黒くてことは皆白からん」という記述もあり、白黒の猫がいたことがわかります。さらに紫式部の「源氏物語」には、当時飼い猫がひもで繋がれて飼われていたことがわかる記述があります。

この時代は、貴族の間だけとはいえ、猫がネズミを捕るための家畜動物から、希少なペットへと変わっていった時代とも言えるでしょう。

 

 

江戸時代には、繋いで飼うから放し飼いへ

 

猫は長い間「ネズミの害から穀物や書物などを守る」という本来の仕事をせず、貴族や裕福層の間でペットとして繋がれて飼われていました。当時、犬は野良犬か使役、または食用とされてきたのに比べ、猫はずっと大切にされていたのです。室町時代に入ってもその傾向は続きましたが、ネズミ害を食い止めるためにちゃんと仕事をするように、ということから安土桃山時代の慶長7年、「京都中の猫を放し飼いにするように」「売買禁止」との法令が出されます。ネズミ害は減ったようですが、野良猫があらわれるようになったともされています。

また、のちに綱吉の「生類憐みの令」が1687年に発令されると、猫の放し飼いが一般的となり、野良猫はさらに増加しました。当初猫は庶民には高価であったため、農家にネズミ害を防ぐためのお守りとして、猫絵を売り歩く商売もあったようです。しかし徐々に一般庶民も猫が飼えるようになると、さまざまな絵画や演劇、物語でも活躍するようになりました。この時代の猫の絵を見ると、多くが尾の短い猫が描かれています。尾の長い猫は尾が二股にさけて化け猫になると嫌われ、尾の短い猫が好まれたからでしょう。

 

 

近代では、庶民の猫になる

 

明治以降になると洋猫が流入し、庶民の間でも猫が飼われるようになりました。しかし戦後、特に高度経済成長期以降、欧米の犬文化が流入すると愛玩ペットの座を犬に譲ってしまいます。

1950年代の南極観測隊での樺太犬タロとジロの物語はあまりにも有名ですが、タロ・ジロとともに第1次南極観測隊に同行し、1年南極で越冬した猫の話を知る人は少ないのではないでしょうか。たけしというオスの三毛猫が、幸運の守り神として観測船宗谷に同乗していたのです。越冬中は隊員のアイドルとして可愛がられたことは言うまでもありません。

 

今や猫は漫画にアニメ、映画など、さまざまな媒体でアイドルが登場しています。猫ブームが続く中、今こそ私たちは猫自身の幸せについて考えてく必要があるでしょう。

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にゃんペディア編集部

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