猫と映画V~猫と自由と彼女の生き方~

ティファニーで朝食をの一場面

日本映画大学准教授の伊津野知多による連載『猫と映画』では、猫が重要な役割をはたしている映画を紹介します。一度はタイトルを聞いたことのあるものから、お家でじっくりと味わいたい作品まで…きっとお気に入りの1作に出会えるはず。

今回のテーマは、『猫と自由と彼女の生き方』。猫は自由のシンボルですが、
そんな憧れを猫に託す私たちの世界はいつの時代も自由になれない閉塞感に満ち
ています。名前のない茶トラ猫を導き手に、ある女性の生き方をのぞいてみまし
ょう。

『ティファニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督、1961年、アメリカ)

『ティファニーで朝食を』は、主題歌の「ムーン・リバー」も有名なオードリー・ヘップバーン主演の作品。1960年代初頭のニューヨークで、束縛されない生き方を求めて奔放に振舞う若い女性ホリーの物語です。ホリーはたえずくるくると動き回って落ち着きのない子猫のように描かれています。まるで止まることを恐れているかのように、彼女は途切れなくしゃべりながらお金持ちの男から男へと飛び移り、身動きがとれないほど混雑したやかましいパーティでも、人混みを難なくすり抜けていきます。彼女の人脈は広く、いつもおしゃれをして様々な人に会いに出かけていくのですが、詳しいことは謎。ただ、彼女が男たちからお金をもらって生活しているということがわかるのみです。

「誰かの所有物にはなりたくない」、「閉じ込められるのは絶対いや」、「お金が必要」。これが彼女の生き方の柱です。お金はもらうしデートもするけれど、私は彼らのものではない。だからホリーは一緒に暮らしている茶トラの猫に名前をつけることを拒み、ただ「キャット」と呼びます。ご飯はあげるし、いっしょに暮らしているけれど、猫を所有しているわけではないから。一見めちゃくちゃなようですが、なるほど筋は通っています。でも、ホリーのポリシーは実は条件つきです。彼女はティファニーと同じくらい落ち着ける居場所を見つけたら家具を買い、猫に名前をつける(何かを所有したい)と言うからです。そんなホリーの悩みに気づくのが、結局結ばれることになる友人ポールです。ポールは彼女にとってのティファニー的な存在となり、2人は猫に名前をつけるだろう。そんな展開を予感させて映画は終わります。

しかし、これで良いのでしょうか?魅力的なラブストーリーであるこの作品にやや違和感をおぼえるのは、奔放でエキセントリックなヒロインが、良識的な男性の愛によって矯正されて「普通の」生き方になじんでいく物語のようにも見えてしまうからです。映画のポールがちょっと鈍感そうな、面白みのないハンサムであるだけになおさらです。トルーマン・カポーティの原作には、自由か束縛か、独立した生き方か所有し所有される生き方かの二者択一に収束してしまわないような微妙さと奥行きがあり、ホリーはもっと徹底的にハチャメチャな女性に描かれていました。そしてポール(原作では語り手の「僕」)は、彼女のそんなところに心底惹きつけられているのです。ホリーに振り回されながらも彼女を懸命に理解しようとする繊細な「僕」は、映画のポールのようにホリーを手中におさめることはできません。どんなに近づいてもわからないことがあり、所有できそうで決してできないものがあるというほろ苦さに「僕」は直面します。ホリーは彼にとってどこまでも魅力的な他者のまま、「僕」の目の前から去ってしまうのです。

このように映画の『ティファニーで朝食を』が、原作に比べると保守的で単純な形におさまっているのは、当時のハリウッド映画に倫理的な規制がかかっていたという事情のためでもありました。男から男へと渡り歩くホリーの生き方を肯定するように描くわけにはいかないため、ヘプバーンの性的なニュアンスを感じさせない身体と立ち居振る舞いのキュートさに重点を置いて、自由な生き方の部分はぼかしておく必要があったのです。そして、それは成功していると言えるでしょう。

思えば、猫に名前をつけて「飼って」いる私たちは映画のポールに似ています。猫(=ホリー)の自由を尊重することと、ペットとして所有することとの間にある矛盾を知りつつも、共に暮らしたいと願う。ご飯をもらってもあなたのものではありません、とでも言うかのように、なでようと伸ばした手をギリギリのところですり抜けて飼い主をがっかりさせる猫を、錯覚だとしても「私の猫」だと思い込みたい…。ホリーの魅力を損なうことなく彼女と生きていくという選択をしたのだとしたら、ポールにエールを送りたいような気もしてくるのです。

作品情報についてはこちらから…

■『ティファニーで朝食を』作品情報

‘『ティファニーで朝食を』KINENOTE’

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日本映画大学 准教授 伊津野 知多
日本映画大学 准教授 伊津野 知多
映画研究者。専門は映画理論、映像論。道端でも映画を見ていても、猫が出てくると反応してしまう。
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