猫と映画Ⅲ~猫といっしょに新しい世界へ~

ダッシュボード上の猫

日本映画大学准教授の伊津野知多による連載『猫と映画』では、猫が重要な役割をはたしている映画を紹介します。一度はタイトルを聞いたことのあるものから、お家でじっくりと味わいたい作品まで…きっとお気に入りの1作に出会えるはず。

今回のテーマは、『猫といっしょに新しい世界へ』。1970年代、バッグひとつでアメリカを横断する老人と茶トラ猫の物語を紹介します。

『ハリーとトント』は、立ち退きを強制された老人ハリーが、住み慣れたニューヨークからカリフォルニアまでアメリカを横断して旅するロードムービーです。茶トラの猫トントがいつもハリーの傍らにいます。

この時期のアメリカは激動期にありました。発展の影に蓄積されてきた歪みが限界点をむかえていたのです。公民権運動やヴェトナム反戦運動など、60年代末にピークを迎えた社会変革の運動は、従来の政治的・経済的体制への見直しを迫り、別の価値観と生き方を提示していました。教師という安定した仕事をもち、典型的な中産階級の生活を営んできたハリーも、妻亡き後猫一匹と静かに独居していた人生の終わり近くになって、こうした時代のうねりに巻き込まれることになったのです。社会に対する批評的な目差しは、この作品が反体制的な若者の抵抗を描いてニュー・シネマと呼ばれた新しいアメリカ映画の流れを汲むものであることをうかがわせます。

『ハリーとトント』予告編(英語版):

ハリーはニューヨークを愛しています。古き良き時代を懐かしみ、治安が悪化して荒んだ街の姿と、住民を力ずくで追い出すような現在の行政に失望しています。しかしハリーは決して保守的なわけではありません(なにしろ猫と暮らしているのですから)。ただ、これまでそのポテンシャルが開花するきっかけがなかっただけなのです。凝り固まっていた保守的な老人が旅を経て柔軟になっていくのではなく、元々変わり者で頑固だった老人が、旅をきっかけに、その美学を決して失うことなくこれまで以上に自由になるというお話にしたところに、この映画の面白さがあります。

旅の途中、ハリーは様々なマイノリティに出会いますが、彼は誰に対しても差別的な目や憐れみの目を向けることはありません。というよりむしろ、猫を連れてカバンひとつで放浪している老人ハリーが十分にマイノリティなのです。ヒッピーの家出少女、認知症になって介護施設にいるかつての恋人、自然食品や薬の行商をしている老いたカウボーイ、高級娼婦、民間療法で病気を治してくれるネイティブ・アメリカンの男…。次々と現れる味のある登場人物たちとハリー、そしてトントの短い交流は、互いへの好奇心と敬意が感じられるべたつかないもので、その距離感が心地よい。ハリーは猫のトントと付き合うように、他人と付き合うことができるのです。

一方、ハリーがたずねて歩く子供たちの方は、ハリーよりも生きづらそうにしています。父親を引き取って一緒に暮らしたいが、妻が不満を抱えているので思うようにいかないニューヨークの長男。どうやら人とのコミュニケーションがうまくいかず、4回も離婚したらしいシカゴの長女。一見能天気に見えるものの、仕事に失敗し女にも逃げられて途方に暮れているロスの次男。彼らは皆父親を愛しており、老いたハリーを保護しなければと思っているのですが、それぞれに大変な事情があることを察しているハリーはすべて断って一人で生きていくことを選びます。

弱々しく不安げな子供たちよりも、年老いて居場所をなくしたハリーの方がずっとクールで頼もしく見えます。トントといっしょにいるため飛行機にもバスにも乗れず、中古車を買って十数年ぶりに運転するハリーの表情は、旅が進むごとにどんどん晴れやかになっていきます。ニューヨークからかぶっていたグレーの中折れ帽も、アリゾナでは明るい色のカウボーイハットに変わっています。車のダッシュボードの上や、モーテルのベッドで寝そべるトントも満足そう。けれども、ハリーとトントが手に入れる自由と新しい生活は、決して手放しのユートピアではありません。それは何かを失うことの痛みに裏打ちされた厳しさを帯びていて、観る者の胸に迫ります。40年も前の作品ですが、飄々としたユーモアの中に押し付けがましくない情感があり、今見ても瑞々しい名作です。

今回ご紹介した作品はこちら…

‘『ハリーとトント』(ポール・マザースキー監督、1974年、アメリカ)’

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日本映画大学 准教授 伊津野 知多
日本映画大学 准教授 伊津野 知多
映画研究者。専門は映画理論、映像論。道端でも映画を見ていても、猫が出てくると反応してしまう。
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